ついに2011年シーズンが開幕。2005年にフル参戦を開始した裕紀にとって、7年目のシーズンがスタートしたのだ。Moto2クラスでは、2年目を迎え、グレシーニレーシングMoto2に移籍。昨年のチャンピオンチームであり、日本のモリワキのシャーシにHondaエンジンというジャパニーズパワーで臨む。
3月11日に発生した東日本大震災。裕紀は、ちょうど日本グランプリのプロモーションの仕事でツインリンクもてぎにいた。高速道路がすぐに通行止めとなり、混乱の中、帰宅。被災地の報に触れ“こんな大変なときにレースをしてもいいのか?”と自問自答した。しかし、レースでいい結果を出して、日本に少しでも明るいニュースや希望を報告できれば…、と決意し、日本を発った。
今年、大きく変わったのがメカニックとのやりとりだ。今までは英語だったが、今年はイタリア語となったことだ。「開幕前のテストからコミュニケーションを取りながら、セッティングを伝えることを試行錯誤していましたね。最初の頃はホント片言で、3歳時並みでしたよ(笑)」と語っていた。もともとイタリアをベースにしていたので、普段使う言葉は問題なかったが、セッティング用語となると、また別だった。それもテストをこなす毎に上達していき、マシン、そしてチームの雰囲気もよく、いい手応えを感じながら開幕戦を迎えた。
開幕戦カタールは、今年もナイトレースで行われたが、タイムスケジュールの変更があり、木曜日から走行が始まった。その初日は、トップタイムをマーク。2日目は、4番手にポジションを下げたものの調子は悪くない。チームと話し合った結果、予選では大幅にセットを変更する。しかし、これが外れてしまう。すぐにセットを元に戻し、4番手タイムをマークするが、ロングランなど決勝に向けたセットを詰めることができずにレースを迎えていた。
2列目4番手グリッドから、好スタートを切った裕紀は、4番手で1コーナーをクリア、翌2周目には3番手、4周目には2番手に上がり、トップを追う。しかしトップを走るブラドルのペースは速く、独走体制を築いていく。裕紀は、2番手争いの集団の中で、何度も順位を入れかえていく。駆け引きは一切なし。抜けるときに抜くという走りだった。ロングランができていなかったために、タイヤの消耗が予想以上に進み苦しい状況となっていたが、一つでも前でゴールするために全力を尽くしていた。ラストラップは、1コーナーへのブレーキングでルティをかわすが、タイヤが悲鳴を上げ、オーバーラン。さらにデ・アンジェリスにかわされ5位でフィニッシュするのがやっとだった。悔しさを噛みしめながらピットに戻ると、チームは“よくやった”とねぎらってくれた。
高橋裕紀「変に後ろについて計算したレースはしたくなかったので、とにかく作戦は考えずに最初から最後まで全力で走りました。抜けるときに抜いて、一度も後ろは振り向かずに走りきりました。去年は転倒だったので、それに比べれば今年はポイントも取れたし、まずまずのスタートだったと思います。レースを走りきったことで、データも取れましたし、課題も見えてきました。次回のヘレスは、テストもしているし、今回よりいい結果を出せると思います」